※ブルガリア国立合唱舞踊団フィリップ・クテフの創立65周年記念公演に招待され訪問し記念公演・祝辞・打掛贈呈を記載し更新、2020.5.11。※2013年セルビア・カラジチ舞踊団訪問、記載し更新。2020.4.27。今後、ポーランド第1回、2回訪問団、ハンガリー第1回、2回訪問団、ギリシア訪問団第一1回、2回。セルビア訪問、ブルガリア訪問、ルーマニア訪問、シシリア訪問、メキシコ訪問を逐次記載更新しますので、逐次チェック下さい。

BULGARIA ブルガリア

ブルガリア国立合唱舞踊団フィリップ・クテフを訪問しイバノフ先生の許可でリハーサルを夫婦で見学、2009.3.17

リーサル後、奥様のターニャさん(由美子の右横、ダンスリーダー)とアディさん(左横)

リハーサルでダパンでリズムを取り、ダンスメンバーに指導するイバノフ氏(国立合唱舞踊団フィリップ・クテフのダンス監督)

ルガリア国立合唱舞踊団フィリップ・クテフの創立65周年記念公演に夫婦で招待され、公演後、舞台上で1万人の観客の前で(エンデカ会場)祝辞を述べ、打掛を贈呈、2016.8.6。ブルガリア国営放送局が65周年記念特別番組を制作し、贈呈場面が番組の最後に紹介される。

打掛の贈呈、2016.8.6

ブルガリア国営テレビ局がブルガリア国立合唱舞踊団「フィリップ・クテフ」の創立65周年記念公演の1時間番組を作成し放映、そのフィナーレで私達、岡夫婦が打掛を国立合唱舞踊団「フィリップ・クテフ」に贈呈したのが放映される。

SERBIA  セルビア

カラジチ舞踊団交流、テレビ出演(バルカン6か国周遊交流ツァー)
KARADZIC(カラジチ)LOZNCA(ロズニツァ)市

2003年以来、交流のある世界で最も伝統のある(1850~)セルビアのカラジチ民族舞踊団への訪問団、本部のあるセルビア西部、ボスニア国境のロズニツァ市のカラジチ会館前での歓迎の演奏

カラジチ民族舞踊団の歌、演奏、踊りの歓迎セレモニィー

ウエルカム・ドリンク

ウエルカム・ダンス

ブック・カラジチ記念館前での公演

2008年の日本公演・講習・交流に対し感謝し打掛贈呈と東北震災の1週間後に亡くなったミーシャ先生への協会員よりの千羽鶴(右端)

カラジチ記念館の舞台で、サーシャによるダンス指導後、メンバーと訪問団の記念写真

セルビア大洪水で協会員がロズニッツァ市に義援金を送っていたので、訪問団の市長表敬で国営テレビ、民放テレビ、各新聞社よりの取材が入る。

セルビアと日本の交流行事の市内の案内版

セルビアと日本の交流行事の挨拶に訪れた、在セルビア日本大使館の文化担当菅(ベオグラードより)と

交流行事前のカラジチメンバー(一部)とカラジチ記念館前で

国営テレビ、民放テレビの放送が有る、セルビア~日本文化交流行事に、ベオグラードより在セルビア日本大使館の文化担当官の挨拶

テレビ録画公演、中央セルビアーシュマディアの踊り

テレビ録画公演

テレビ録画公演、沖縄のアシビナ

テレビ録画公演

テレビ録画公演、北海道のソーラン節

テレビ録画公演、カラジチ本部のある西セルビア、ヤダルの踊り

テレビ録画公演、鞆の浦のアイヤ節

テレビ録画公演、マケドニアの踊り

交流行事のフィナーレ、皆でセルビアンダンス

交流行事終了後、カラジチ記念館の前でカラジチ舞踊団と訪問団の記念写真、左端はオールドメンバーの指導者ブック、私の左隣は新指導者のサーシャ

モンテネグロ舞踊団と交流・講習 2013.5.16

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ舞踊団と交流・講習 2013.5.17

POLAND ポーランド

ウォービッチ民族村での結婚式セレモニー 2003.6 第三回ポーランド訪問団、ポーランド国立合唱舞踊団シュロンスク創立50周年記念公演(3部4時間)

ポーランドの民族文化の盛んなウォビッチ(ショパン記念館が有る)の結婚式の民族衣装

結婚式の行い方をヴォイチック先生より説明を受ける.2003.6.19

パンは結婚後、食べ物に困らない様に、人形は子宝に恵まれる様にと。尚、皆よりのお祝い金は全てお母様が持ち、結婚した二人は明日より一よりお金を貯めていくようにとポーランドの習慣

お色直し

披露宴の会食

ヴォイチック夫妻、訪問団メンバー、観光客が次のダンスプログラムを待つところ

ポーランド国立合唱舞踊団シュロンスクと訪問団の交流後、シュロンスクの大ホールでシュロンスクの団員の前でマズルを夫婦で踊る。2003.6.16

マズルをシュロンスクのメンバーの前で踊り芸術監督のヴォイチック先生より外国人では初めてとなるディプロマ(指導者認定)を受賞 2003.6.16

アダム(左)と1994年以来の親交あるゾフィーさん(プリマ、中)とヤン(メイン、右)のチャクレフスコ夫妻

カミニツァ・ポルスカの市長より長年のポーランドダンスの活動に対し感謝の盾が贈られヴォイチック先生が説明をして下さる

ゾフィさんの出身のプオーツク舞踊団よりのプレゼント贈呈

プオーツク舞踊団とヴォイチック夫妻、訪問団メンバー 2003.6.21

ヴォイチック氏の教え子ヤレスワウ(ヤレック)氏が指導するチェストホーバ舞踊団(大学生)と訪問団メンバーとヴォイチック夫妻 2003.6.18

ゾフィさんとヤンが指導するカミニィツァ・ポルスカ舞踊団と3回目の交流(第1回の1994、第2回の1998、に続き3回目の交流) 2003.6.17

ポーランド国立合唱舞踊団創立50周年記念公演(3部、4時間の公演、カトビッツェ体育館、1万人)、公演後、50年間の功労者を壇上で表彰。最後、訪問団が紹介され私が祝辞を述べ、ポーランド語でシュロンスクが大好きですとスピーチし盛大な拍手を戴きシュロンスクに打掛を贈呈する。ポーランド国営テレビ局も全プログラムを大々的に収録。SLASK 50 years performance

ファイナルのシュロンスク公演の前に、セミ・ファイナルとしてプウォーツク世界大会で訪問団が日本民踊を紹介し、その後、全員でポロネズ、クヤビアクを踊り踊り大きな拍手を戴く、最後に私達、岡夫婦がマズルをカップル・ソロを踊り、大きな拍手とブラボーの連呼を受ける PLOCK festival

プウォーツク世界大会、訪問団のクヤビアク

第三回ポーランド訪問団、ポーランド国立合唱舞踊団シュロンスクの正門前で

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ヴォイチック先生が2008年の来日講習会の直前に亡くなられ、一周忌を待ち、由美子と一緒にポーランドを2009.4.15-23に訪れ、エバさんと共にワルシャワのお墓詣り。ポーランド国立合唱舞踊団の創立メンバー(12、000人より選ばれた)で国立合唱舞踊団シュロンスクとマゾフシェの芸術監督であったイエジ・ヴォイチック氏

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お墓に花を添える

会員皆で折った千羽鶴をポーランド国立合唱舞踊団シュロンスクに届け、エバさんと私達(岡夫婦)はシュロンスクのゲストルームに2泊させて戴き、ディナーに招待される(シュロンスク運営委員の方々ー元王族ヨゼフ・ムシオウ氏、カトヴィツェ市長他と)。滞在中、シュロンスクが主催するサマーダンスセミナー10日間にエバさんより夫婦で是非受講してみてはと強く勧められ2009.7.2-7.17に訪れシュロンスクのサマーダンスセミナーに夫婦で参加。ポーランド国立合唱舞踊団シュロンスクの記念館にヴォイチック先生の遺影の上に千羽鶴が飾られているのを確認。

7月に再びヴォイチック先生のお墓詣り

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エバさんの住んでいたビエルスコ・ビアウワのシュロンスク公演にシュロンスクよりメンバーと一緒に専用バスに便乗し公演を鑑賞し、公演後、専用バスでメンバーと一緒にシュロンスクに。踊りはトロヤックのアダム、2009.4.

タタラダンス、真ん中はヤン・チャクレフスキー氏

踊りはオベレクでジャンプし空中で足を叩いているヤン・チャクレフスキー氏

2009.4の訪問で、シュロンスク創立50周年で寄贈した打掛が、クロスにした木に掛けてあったので2009.7に大名衣こうを運搬し、正式に展示して戴く。

シュロンスク記念館の入口近くに展示されたシュロンスク50周年記念公演で贈呈した打掛

2009.7.2-17にポーランドを再訪問し、シュロンスクのサマーダンスセミナー10日間に夫婦(岡)で海外より参加。セミナーの最後に講習された踊りを、シュロンスクの劇場で一般市民に披露する公演が開催される。その開会の挨拶を行うセミナーの責任者ゾフィーさん。

責任者のゾフィーさんより、私達夫婦のクヤビアクの雰囲気がとても素晴らしいのでカップル・ソロで踊ってと言われ観客の前でクヤビアクを踊る

観客に日本の踊りを見せたいのでと前日、急に言われ音楽・衣装は用意してなく、ゾフィーさんの用意したものでポーランドダンスの後に披露。フィナーレに長年のポーランドダンス紹介活動に対しシュロンスクより文化賞が授与される。アダム全権監督より2009.7.11

サマーセミナーのウエルカム・バベキューで講師たちと、私達の間はバレエを教えたアネタ、前列はゾフィーとヤンのチャクレフスコ夫妻夫妻。2009.7.8、シュロンスクの中庭

ウェルカムパーティーでソーセージを焼く、アダム全権監督の息子

ポーランドダンス国立合唱舞踊団シュロンスク創立60周年記念公演(ワルシャワのオペラハウスと本部コシェンチン)の招待を戴きポーランドを訪問、エバさんの家に滞在しワルシャワの公演を鑑賞しゾフィーさんとも再会。シュロンスクに招待されゲストルームにエバさん、娘で女優のマグダさん(ポーランドのブリジット・バルゾーで有名)と私達夫婦(岡)で4泊する。団長のチェルニエクに頼まれていた打掛の付属品(草履、腰ひも、扇子等)を寄贈。エバさん・マグダさん同席.2013.6.22-7.5 SLASK 60 years

シュロンスク祭り(3日間)のシュロンスクの中庭にセットされた公演会場でエバさんと娘さんの女優のマグダさん(アンジェイ・ワイダ監督がヴォイチック氏の近くに住んでいてた関係で、マグダさんがポーランド国立民族舞踊学校在籍中にモデル、ワイダ監督の映画に少し出演し、その才能を見込まれ演劇学校に奨学金で進み、首席で卒業し女優に転身)、大変な有名人

シュロンスク記念館の福山市よりの感謝状(ガラスに彫刻)の前でマグダさんと

コシェンチンのシュロンスク本部・中庭の特設会場での公演、ルブリンの踊り SLASK 60 years performance

公演終了後、アダムと再会

シュロンスク祭りで出演するシレジア地方の子供のグループとシュロンスク劇場の前で

公演終了後、チャクレフスコ夫妻の家に招待されケーキ、飲み物を戴く、息子のアダム(公演後、マゾフシェに移籍)とヤン。ゾフィーさんは途中、スクールに出席

裏庭の芝生広場でエバさんヤンと

ヴォイチック氏5回忌でヴォイチック氏の実家(元はクリーニング店)へ、家の前で弟(右端)と妹さん(マグダさんの右横)

ヴォイチック氏は出身地の学校に寄付しヴォイチック財団を設立、亡くなられて5年目で記念行事が行われエバさん、マグダさんと私達夫婦(岡)が出席し歓迎式が行われた

ヴォイチック記念財団のイェジ・ヴォイチックの名前の入った旗

ヴォイチック氏の弟・妹(私の右横)、エバさん、マグダさんと学校関係者

学校の地下にあるヴォイチック氏が寄贈して展示している民族衣装等、エバさん、マグダさんと

行事終了後のティ―タイム、、右端の前はヴォイチック氏の弟さんと、後ろは妹さん。他は校長・副校長

シュロンスク祭り後、マグダさんの車でザモシチ、ルブリン等を経由する2泊3日の観光ツアー

ROMANIA ルーマニア

ティミショアラ世界大会

2007.7.4~8ティミショアラ世界大会  4000人の観客の前でティミシュール舞踊団のメンバーとしてバナート地方(ティミショアラが中心地)のダンス・メドレー10分を踊る。パートナーはルーマニア・ティミシュール舞踊団の方です。

ルーマニアのティミショアラ世界大会でティミシュールのメンバーとして10分間のバナート・ダンスメドレーを4000人の観客の前で踊る

HUNGARY ハンガリー

ハンガリー文化勲章を受章

1996年6月にハンガリー人民共和国政府より外国人で最もハンガリー文化に貢献した人に贈られる文化勲章である「ハンガリー・プロ・カルチャー賞を岡代表が受賞しました。ハンガリー建国記念日(3月15日)に交付され在日ハンガリー大使館で授与されました。1974年にハンガリーダンスと出会い、1978年よりハンガリー国立民族舞踊団の指導者エルデーイ・ティボー氏、イロナ夫人を招き全国にハンガリーダンスの一大ブームを巻き起こし、日本にハンガリーを紹介した事が評価され受賞となりました。1981年にハンガリー国営テレビ局が来日し、岡 義昭氏主催による、エルデーイ夫妻ハンガリーダンス講習会を3週間取材し1984年の建国記念日前の日曜日19:30~20:00に「フォークダンスの架け橋」としてハンガリーで放映され大反響を呼びました。

第3回ハンガリー訪問団、エルデーイ夫妻の家に前で(家はティボー氏が手作り)2005.8.20

イロナさんの手料理を戴く

サースホロンバタ舞踊団より踊りの指導を受ける。2005.8.19

サースホンバタに設営されたハンガリー国営テレビ局の番組に出演。左は司会者、その横は通訳のキグリチ氏。2005.8.20

サースホンバタ舞踊団を指導している、元ハンガリー国立舞踊団のポール氏、ティボー氏とポール氏は国立舞踊団の創立メンバー,ハンガリー国立民族舞踊団のトランシルバニアの4つの踊りのプログラムでポール氏は第一の踊り手、ティボー氏は第三の踊り手で素晴らしいダンスを披露している

ブダペシュトフェスティバル(市制記念日)でハンガリー国営テレビ局のインタビューを受ける。2005.8.20

ブダペシュト・フェスティバルで沖縄のアシビナを踊る 2005.8.20

※今後、ポーランド訪問、第1回・2回の訪問団、ハンガリー訪問、第1回・2回の訪問団、ギリシア第1回・2回の訪問団、セルビア訪問、訪問団、ブルガリア訪問、ルーマニア訪問、訪問団、メキシコ訪問等、海外交流を逐次、記載しますので逐次チェックし閲覧下さい。